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不動明王ってどんな方

不動明王について
hudou

不動明王真言 

のうまくさんまんだ ばざらだんせんだまかろしゃだ
 そわたやうんたらたかんまん


不動明王ってどんなイメージがありますか?
怖い顔して、恐ろしそう。どんな仏さま?

このお不動さま、関西では水掛け不動や関東では成田山新勝寺でおなじみではありますが、あまり一般には理解されていないようです。

正式なお名前は、大日大聖不動明王と云います。
一般的には、親しみを込めてお不動さんと呼ばれています。
お観音さまやお地蔵さまと同じように、一度はどこかで見たことがあると思います。でも怖そう・・・というのが一般的なイメージですね。

そこでこのお不動さまのことを住職にご紹介して頂きました。

不動明王の解釈には大きく分けて、密教的解釈と修験道(山伏・シャーマン)的解釈に二分されると思います。
密教での解釈は、得度受戒を受けて出家したもの以外に話すと、これは世間では、打ち首にも相当する坊主の大罪になりますので、今回は省略させて頂きます。

不動明王の履歴書

国籍
印度 我が国への初入国は、真言宗のご開祖弘法大師・空海様とご一緒。
所属
胎蔵界 明王部
現住所
住所不定 強いて言えば皆さまのお心の中
生年月日
不明
職業
現在でいうと警察庁長官
職務
皆さまのお心の中にある、煩悩、愚痴、貪欲を退治し、幸福な心を与え、またいろいろなお願い事を叶えてくださる。
悩み解決のエキスパートです
服装
腰衣、九条曼陀羅の袈裟
とってもお洒落な仏さまで、白い蓮華のティアラ・ピアスやネックレスもお好きなようです。
所持品
右手 刀(拳銃) 左手 縛りひも(手錠)
部下
四大童子 八大童子 三十六童子など。諸説あります。

身体的特徴
体の色
青黒色 時にオリジナルで赤、黄、青色などの事もあり
髪形
 天然パーマ
火炎
 後ろに背負っている炎は、迦楼羅(ガルダ)炎という鳥で、竜を取って食べると言われています。
 ちなみにガルーダ航空はこの名前から取られています。
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形相
 忿怒、暴悪の相。仕事がら俗に言う強面のお顔です。
 額には三本の皺。引き裂いたような口の両端からは、大きな牙、右目、右牙は上向き、左目、左牙は下向き。
 片方の大きな目は見開き、片方の目は閉じていますが、よく見るとそこからは一滴の涙がこぼれています。
 口でやさしく言っても聞かない人に、怖い顔で強く叱ってやらないと改心しない。そこで「このひもで縛って、剣で刺し殺すぞ」と脅しますが、自分の頭の蓮華の上に乗せるのです。つまり極楽へ運ぶのです。
こんな目に遭わないとわからないのか」とあわれみの涙だそうです。
御足
おしゃれなのになぜか裸足です。
嗜好品
 種々のお香、胡麻、お米、五穀、胡麻油、乳の出る樹木をよく焼いて召し上がります。但し焼肉や焼き魚は駄目です。

以上、思いつくまま、今風にアレンジして書いて見ました。皆さまが親しく、不動明王さまにお近づき頂ければ幸いと存じます。

           求菩提山 南龍院光明寺 照憲 合掌

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テーマ: 宗教 -  ジャンル: その他
by tripgaido  at 18:37 |  お寺の雑学(住職の法話あり) |   |   |  page top ↑

水子について

水子供養について  南龍院光明寺住職 今村 照憲

近年水子供養が急増しています。
それは優性保護法の思想のもとに、表面的には合法的行為として経済的理由をタテにし、胎児の隋胎は今日も日本の至る所でなされています。
今もまた幾多の産院で親の勝手な意志により、沢山の陽の目を見ない胎児が殺され、捨てられています。

ある統計では年間に70万人~200万人ともいわれています。
しかし身に覚えのある女性は、中絶の場合も自然流産の場合も脳裏から離れず、いつまでも悔いとなって時には耐え難く心を重圧していきます。
また一方ではテレビやマスコミで霊界の不思議な話として興味本位に放送するため、身体の調子が悪くなったり、家庭の不和や子供が非行化してくるとこれは水子のサワリではなかろうかと考え、水子供養をしなければと思うようになってきます。
そこで水子供養について少し書き記します。あかちゃん

水子(みずご)とは
受胎して出産するまでの胎児が死亡したら、一般に水子といいます。
これを戒名の位号としては(すいし)と読むわけです。
因に水子の葬式をした場合、何々水子と戒名が授けられます。子供の戒名を年令でわけますと胎児を何々水子、出産から1歳までを何々嬰子(女)1歳から3歳までを何々孩子(女)4~5歳までを童子(女)となります。
水子の隋児(中絶)・死産・流産した胎児のことで、水子といえども我々の先祖の一人であり高齢で亡くなったお年寄りと何ら変わる事がなく同一の霊位として手厚く供養しなければなりません。

水子の霊は
水子の霊はどこに?これを説明する前に人が亡くなると、その霊魂は一体どうなるかを説明させていただきます。
人の霊魂は3つに分かります。まず亡くなる臨終の瞬間に霊魂は一つの肉体により離れて昇天し、49日迄は屋根棟などにいて供養の結果、50日目より仏様の古里であるお浄土に昇ります。
次の霊魂は葬儀の時、僧侶の引導作法により魂が位牌に入魂され成仏します。
最後の霊魂(魂塊)ご遺体(遺骨)に残り、墓地においてまつられます。このように人の霊魂は亡くなると(1)天、つまりお浄土と、(2)位牌と、(3)墓地に分かれてみつられています。
では供養のされていない水子の霊はどうなるのかというと、お浄土にも行けず位牌にも入れられず、遺体、遺骨もない為墓地にも入れずと言う事で、宿るところのない3つの霊魂は、この世とお浄土の中間である中有(ちゅうゆう)をさまよっています。ですから水子の霊が供養を求める催促の方法として両親や時には兄弟などに頼る,所謂、霊障がおきることがままあるわけです。

正しい水子供養は
中絶した罪悪感より心の安心を得るためや、清算の意味でする形だけの供養霊障を除くための供養は、本当の供養ではありません。
心より隋胎や流産したことを水子に深くわびて懺悔し、自分の生命ある限り供養する覚悟がなければなりません。供養のできていない水子の霊は先に述べたように、中有に迷い、苦しみながらさまよっています。
いいかえれば餓鬼道(地獄)に落ちています。これを救うにはお寺さまにお願いし、水子霊を餓鬼道より救い上げ、お葬式をして、ちゃんと成仏の法を授けていただき、お位牌やお仏像に入魂してもらい、さらに供養していただく必要があります。
最近一分の寺院には、この水子供養を霊感商法的にたんに商売として行なっているところがありますが、よく注意して丁寧に供養して下さる寺院にお願いしましょう。何十人もまとめて供養するとか、わずか数分しか拝んでくれない寺院とか、塔婆に書いて大きな水子地蔵尊に参ればよいというのは本当の供養にはなりません。

             
水子は何に祀ればよいか
水子の霊が宿れるものが必要です。塔婆や位牌、地蔵尊や観音様等のお仏像があります。どれが正しいとは申せませんが、お祀りする形はそれぞれのご寺院に相談をされてください。
ただ流産や隋胎された水子は男女の判別は遺髪遺骨等がない場合が多く、戒名のつけられない事がほとんどです。また特に隋胎された水子の霊魂は、大変荒ぶれた心で地獄にいますので、出来れば地蔵尊や観音様の様な、お優しいお姿にお祀りするのが良いでしょう。
色々書いてまいりましたが、只祀ればよいということではなく、一人の霊位としてご先祖様と同じように供養する心が大切な事です。

今日よりはあらぶる心ましますな ただ一筋に弥陀の浄土へ
 
                  照憲 合掌   

詳しくお聞きになりたい方はkoumyouzi114@yahoo.co.jpメールでお知らせください。管理人
by tripgaido  at 10:26 |  お寺の雑学(住職の法話あり) |   |   |  page top ↑

護摩について

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護摩について


護摩とは本来の意味は「焼く」という意味で一切の穢れ、不浄、悪事、災難を焼き尽くし、清浄で美しい幸福な状態にすることであります。

人間の心の本質は、美しい仏心(仏様の心)なのでありますが、生活しているうちに、知らず知らず環境の悪さに染まって、自然に心が汚れてまいりまして、人様の前では話すことの出来ない様な汚い事を考えていまいます。
また、人間の言葉はもともと清らかなものでありますのに、腹が立ったといっては他人を罵り、自分が良い地位を得ようと人の悪口をいい、罪を逃れようとして嘘をつき、うまい儲けをしようとして心にもないお世辞を使ったりして、毎日毎日の言葉が穢れたものになってきます。

それから人間の行動というものは本来正しいものでなければなりませんが、人が見ていませんと怠けたり、つい欲が出て人の物をごまかしたり、野心を達する為に人を押し退けたり、誠に浅ましい事をします。

このように考える事、言う事、行う事が汚れはてたものになるのは、正しい道理がわからない、暗い心から出発しているので、そのために健康を求めながら病気になったり、思わぬ怪我をしたりします。
豊かな生活を望みながら、信用をなくして貧乏したり、皆と仲良くしたいと思いながら、毎日喧嘩をせねばならぬようになったり、幸福にあこがれながら不幸を嘆いて一生を暮らすことになります。

真言宗の教典の大日経琉という本に「火の自性とは即ち是如来の一切の智光なり」と説いてあります。如来様の智慧の光を戴く事に依って、迷いの闇を照らし汚れたものを焼き尽くして、心を清浄にし、言葉を美しくし、行いを正しくいたしますと、自然に生活がよくなって幸福が訪れてくるものであります。そこで護摩をたいて、一切の穢れたものを焼きつくすのであります。

この護摩には内護摩外護摩とがあります。
「内護摩」とは精神の智恵の火を燃やして人の心の中の無明煩悩を焼き尽くして菩薩の境にいたるものであります。
「外護摩」というのは、、壇を築き炉を設け、壇木を燃やして真言を唱えながら供物を炉中に投じて供養し、百八支の乳木を焼いて人間の心の中に生ずる百八の煩悩(迷い)を焼き尽くすのであります。

ただ物を焼いて灰にするだけのことならたき火と変わりませんが、護摩の火は悪いものや汚れたものを一切焼き清めまして、その後に清らかな善い芽を生やすものであります。その芽とは悟りの芽であります。

この外護摩には一に本尊、二に真言、三に印がそろわねばなりません。
一の本尊とは、言うまでもなく不動明王で、二の真言とは炉(火をたく所)であります。この本尊と炉と行者とが平等の立場において三位一体となるのであります。この場合、本尊は意業(心のおこない)炉が語業(言葉のおこない)行者が身業(体のおこない)となりまして、身口意(体と言葉と心のおこない)の三業が淨められ、それぞれの願いが成就する事が出来るのであります。

次に祈祷は四つに分けられます。
より健やかに生きたい(息災法)
より豊かに生きたい(増益法)
より和やかに生きたい(敬愛法)
より安らかに生きたい(調伏法)
これを四種法と申しまして、この四つを祈る事ができます。

なおこの外護摩には、本堂で焚く護摩壇と、外で焚く柴燈(さいとう)護摩があります。

柴燈(さいとう)護摩とは、大地に壇木で炉を作り、薪を積み上げ、桧の葉をおおい、火をつけて中央の炉に不動明王を始め諸仏諸神をお招きし、種々の供物を捧げ、色々なお願いを申し上げ、転禍為福、つまり災いを福に、悩みを喜びに変える祈祷のお勤めでございます。
昔から護摩を焚いて国事を祈れば、国運隆々として火の燃え上がるごとく盛大となり、家事を祈ればその家の家運、炎々として炎の燃え上がるごとく栄え、人事を祈れば、その人の運気は熨々として白熱のごとく強烈となり、いかなる障害や邪魔も滅尽くせしめると伝えております。
即ち運気が、燃え上がる護摩の焔のごとく、盛んに燃え上がるのであります。運気の沈んだ家や人の事をよく「火が消えたようだ」などと申しますが、生命力の火が消えてしまいますと、これはもう家も人もおしまいです。陽の気を失うと、人は陰気になって運が悪くなったり、弱くなったりして、とうてい人に負けぬよい働きは出来ません。落胆し没落するばかりです。
陽極は火で、法力の火でもって陰の気を追い払うのです。

どうか特別祈祷や添護摩を申し込まれ、家の運気やご自分の運気を護摩の火の燃え上がるごとく盛んにして頂くよう御参りくださいませ。
なお、特別祈祷や添護摩し申しますのは、皆様方のお願い事、お名前を書いた添護摩木を、大祇師を始め諸衆によって一々読み上げ、お加持をして本尊様の護摩炉に投入し、お不動様の火によって浄化し、お願いをかなえていただきます。
また護摩の終わりに火生三昧(火渡り)を行いますので、みなさまもどうぞお渡り下さいますようお願いいたします。

           求菩提山 南龍院 光明寺 住職 今村照憲
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そしてたまには豊前のお寺南龍院の宣伝などお手伝いとその時によって中身が変わります。

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